【ネタバレ】The Number Bias #18

タイトル:The Number Bias

著 者 :サンヌ・ブラウ

出版社 :サンマーク出版

発行日 :2021年11月15日

数字万能主義

数字の力「標準化」
数字が普及したことにより、それまで地域や国によってバラつきのあった「重さ」や「距離」の基準が統一された。
この標準化が行われた結果、現在、世界中の人がメートルやキログラムという共通の単位を使い、GDP成長率、IQといった共通の数値で世の中を理解するようになった。

数字の力「説得力」
言葉は偏見や解釈の影響を受けやすいが、数字には感情や解釈などが入る余地がない。
数字はあくまで中立であり、現実をそのまま表現してくれる。
つまり、数字の本質は客観性である。

数字で決まる世界
今の世の中、年金支給開始年齢、GDP成長率、平均年収などの数字が世界のあり方を決めている。
しかし、この世界はウソの数字に溢れているため、数字万能主義は危険である。
GDP成長率やIQなど、多くの人が基準として活用している数字も、客観的なものではなく、その裏には「誰かの主観的な決断」が隠れている。

それにも関わらず、私たちはただ数字であるというだけでほぼ無条件に信じてしまっている
私たちは数字を根拠に飲むものを決め、食べるものを決め、住む場所を決め、誰に投票するかを決め、どの保険に入るかを決める。

数字がとても強い力を持っている世の中において、「数字の消費者」である私たちは、あまりにも簡単に数字に影響され、だまされているということに気付くべきである。

「ないもの」を計測する

グラムやメートルといった単位は、絶対的なもの、客観的なものを計測している。
一方で、世の中には、経済、教育といった抽象的な概念を計測する数字も存在する。

例えば、GDP(国内総生産)は、国内で生産されたすべての財とサービスの価値を合計した数字であり、政府が生み出した価値も含まれる。
このGDPは、第二次世界大戦に向かおうとしていたアメリカ政府の「軍事支出に予算を回したい(=爆撃機も経済を図る価値に算入したい)」という思惑から生まれたものであり、客観的な事実ではない

「主観」が否応なく混ざる

一般的な知能テストを作ったのは、看護師でも大工でもなく、高い教育を受けた数字が好きな人たちである。
従って、病気の人の看病がうまくても、木材からテーブルを作る技術があっても、知能テストでは評価されない。
評価されるのは、数字の列を完成させたり、物事をカテゴリー化したりする能力である。

一方で、この種の思考がもっとも知的であると決める客観的な証拠は1つもない。
つまり、これは単なる主観的な価値判断でしかない

GDP然り、抽象的な概念を数字化するときには、重要だと思う物事を計測する。
しかし、その裏には、計測された物事が重要になるという現象も発生してしまう。

「かぞえられるもの」だけで考える

抽象的な概念である知能指数(IQ)を計測する際に考慮されるのは、「かぞえられる要素だけ」である。
数値化できない要素(文章のうまさ、解決策の創造性など)や、観察に時間がかかる要素(外国語を習得する速さ、失敗への対処のしかたなど)はすべて無視される。

つまり、IQは間接的に知能を表現しているにすぎず、知能をそのまま反映した数字とは言えない。
IQをあくまで参考資料(何が得意で、何が苦手かなど)として使う分には問題はないが、IQ=知能と考えてしまうと問題である。

たった1つの数字で語られる

経済のような複雑で抽象的な概念を1つの数字で表すと、簡単で分かりやすい反面、必ず何かの要素が除外されることになる。

GDPの場合、「お金に換算できないすべてのもの」が除外される。
本来であれば、質の高い教育や医療の普及率など、国の成長にとって大切な要素は他にもたくさんあるはずだが、これらは除外されてしまう。

「出て欲しい結果」に寄せる

数字を正しく扱うためには、数字には「語っていないこと」もたくさんあると認識する必要がある。

GDPは単に「生産」を表す数字であり、IQは「テストの点数」でしかない。
しかし、そこに思い込みや偏見が介在してしまうと、GDPが「国民の幸福を測る物差し」となり、IQが「知能を示す物差し」となってしまう。
数字が実際には語っていないことまで語っていることにされてしまう。

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