タイトル:1%の努力
著 者 :ひろゆき[西村 博之]
出版社 :ダイヤモンド社
発行日 :2020年3月4日
「働かないアリ」であれ
「働きアリ」は、任された仕事を一生懸命にこなす。
一方で、「働かないアリ」は、ダラダラと何もせず過ごしていて、たまにぷらぷらと外を出歩く。
しかし、プラプラと外を出歩いている中で、たまに「バカでかいエサ」を見つける。
しかも、巣に戻って報告すると、それを「働きアリ」たちがせっせと運んできてくれる。
この「働かないアリ」のように、お金や時間にとらわれない状態になると、チャンスが見えるようになる。
・就職氷河期で就職もせず、インターネットにどっぷりの生活
・「2ちゃんねる」は、他のサービスのいいところをマネた
・「ニコニコ動画」は、ドワンゴの社員のアイデアに乗っかった
ひろゆきは、そんな「1%の努力」、努力しない努力を極めて、いまはパリで余生みたいな生活を送っている。
この「1%の努力」に必要だったのは、
・工夫を取り入れ、「やり方」を変えられること
・ヒマを追求し、「何か」をやりたくなること
つまり、自分の頭で考えること、「思考」であり、お金や時間ではなかった。
やり方を変える
チャンスというものは、突然やってくる。
突然、起業メンバーにならないかという誘いがくるかもしれない。
当日誘われた飲み会に運命の人が来ているかもしれない。
それもこれも、つねに「余白」を持っていないとせっかく訪れたチャンスを掴むことはできない。
世の中には、予定をパンパンに詰め込んで片っ端から片づけていくタイプの人もいる。
その場合、幸運の女神が現れたら、両手でお手玉をしながら器用に女神の前髪を掴めるかもしれない。
しかし、それは凡人には非常に難しい話である。
凡人にとっては、少なくとも片手は空けておかないと、チャンスを掴むことはできない。
・スケジュールを埋めるのではなく、「余白」を作る
・両手をふさぐのではなく、「片手」を空けておく
それには、「サボる才能」があるかどうかが問われる。
2時間でやるべきことを1時間で終わらせて、1時間を余らせることができるか。
さらに、30分で終わらせることはできないかと考え続けることができるか。
「頑張ればなんとかなる」と思っている人は「やり方」を変えようとはしない。
しかし、それでは努力しないと成果が上がらない「働きアリ」になってしまう。
少ない努力で最大限の成果を上げるためには、「やり方を変えることを考える」ことが重要である。
努力だけでは変えられない
何かを成し遂げるときに、「どう頑張ったか」が100%必要であると認識されがちである。
しかし、ありとあらゆることにおいて、「100%自分の実力だ」と言えることは、実はとても少ないのが事実である。
・東大生の親の6割の年収は950万円以上、親の年収が450万円未満の東大生は1割しかいない
・芸能の職業で大事な要素である顔やスタイルは、遺伝で決まってしまう
など、個人の行動は、環境や遺伝によって「ある程度」は決められてしまう。
もちろん、努力をすることで結果が変化することも事実ではある。
しかしながら、人生のスタート地点での違いで圧倒的な差があるときに、努力して埋めようとするのは相当難しいのもまた事実である。
それにもかかわらず、世の中、「努力100%」という信仰で溢れかえっている。
なぜなら、ごく一部だけ、「努力できる」という才能を持った人がいるからである。
そして、自分が成功できたことを100%自分の実力だと思ってしまう人は、成功した秘訣を「死ぬほど努力したから」と他人にもそれを押しつける。
だから、ダイエットの本を読んでも痩せなかったのは「あなたの意思が弱いから」と言われてしまう。
合格実績をウリにしている予備で学んでも、合格できなかったのは「あなたの頑張りが足りなかったから」と言われてしまう。
しかし、スタイルは(努力である程度変わるものの)遺伝で決まってしまう。
学業の成績は、(努力である程度変わるものの)親からの遺伝が60%ぐらい影響すると言われている。
努力か、遺伝子か、環境か、どれか1つが100%ということはあり得ない。
それでも変えられる部分はどこか
努力で変わる部分はものすごく少ないが、「それでも変えられる部分」はどこか。
それは、努力とは関係なく勝てる方法を探すために頭を働かせること。
つまり、「競争のいらないところに張る」こと。
たいていの会社には、仕事の成果を「出している人」と「出せていない人」がいる。
しかし、優秀さとは相対的なものなので、集団でいる限り、必ず平均以下の人は現れる。
各部署で優秀だと言われているエリートを100人集めても、その100人の中で下位の人たちは落ちこぼれになってしまう。
環境や遺伝子に違いがある中で「仕事の成果」という分野で競争を続けても、上には上がいるのが事実である。
それに、成果を出すために圧倒的な努力で徹夜を何度もやっていたら、いつかは倒れてしまう。
では、「努力しなくてもいいのか?」と言うと、そうではない。
そうではなく、自分にとって頑張らなくても結果が出る場所がどこか頭を働かせる。
仮に、仕事の成果はイマイチ出せていない人が、決して仲間の輪を乱さない「いい人」タイプだったとしたら。
能力が低くても、「あいつがいると空気が明るくなる」という人を組織に置いておきたいというニーズは一定程度あるかもしれない。
そうであれば、しゃにむに仕事を頑張るのではなく、「いい人」として生きていくのも十分アリかもしれない。
「もっと努力しないと」と考えるのではなく、「1%の努力」で変えられる部分はどこなのかを考えてみる。
そうやって考え方のクセを変えることで、人生は楽になる。