タイトル:嫌われる勇気
著 者 :岸見 一郎・古賀 史健
出版社 :ダイヤモンド社
発行日 :2013年12月12日
世界はシンプルである
人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。
ゆえに、世界が複雑なのではなく、自分が世界を複雑なものとしている。
そうであれば、自分が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻し、今日からでも幸せになれる。
問題は世界がどうであるかではなく、自分がどうであるか。
自分に「変わる勇気」があるかどうか。
過去に支配されない生き方
アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考える。
つまり、問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」である。
過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる。
従って、アドラー心理学では、「ライフスタイル」、つまり、人生における思考や行動の傾向は自ら選びとるものと考える。
現在の自分を形成したものに外的要因(人種・国籍・家庭環境など)も大いに影響はしているが、それでもなお、「こんなわたし」を選んだのは自分であると考える。
「変わらない」という決心
人生における思考や行動の傾向が先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはずである。
しかし、それでもなお、変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからである。
なぜなら、人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心だからである。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。
多くの人は後者を選択している。
つまり、自分が不幸なのは、過去や環境のせいでははい。
ましてや能力が足りないのでもない。
ただ「勇気」が足りない。
ライフスタイルを変える勇気、言うなれば「幸せになる勇気」が足りていないのである。
これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。
自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きる自分である。
本当の自由とは
他者の視線が気になる、他者からの評価が気になる。
他者の顔色を窺いながら生きる、他者の望みをかなえるように生きる。
これらは、要するに「誰からも嫌われたくないから」である。
しかし、アドラー心理学の「課題の分離」に照らせば、「嫌われたくない」と願うのは自分の課題であるが、「自分のことを嫌うかどうか」は他者の課題。
自分をよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできない。
自らの生について、唯一できることは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけである。
一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。
これは他者の課題であって、自分にはどうにもできない話である。
すなわち、対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることである。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。
われわれは、他者の期待を満たすために生きているのではない。
自分が自分の人生を好きに生きてはいけない理由など、どこにもない。
だからこそ、幸せになる勇気には「嫌われる勇気」も含まれる。
人生に「意味」を与える
われわれの住む世界には、戦禍や天災のような理不尽な出来事が隣り合わせで存在している。
従って、「一般的な」人生の意味などはない。
しかし、自分であればその人生に意味を与えることができる。
自分の人生に意味を与えられるのは、他ならぬ自分だけである。
「自分」が変われば「世界」が変わる。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「自分」によってしか変わりえない。