【ネタバレ】父が娘に語る経済の話。 #23

タイトル:父が娘に語る経済の話。

著 者 :ヤニス・バルファキス

出版社 :ダイヤモンド社

発行日 :2019年3月6日

市場のある社会

現代ではあらゆるものが市場の基準で判断されている
どんなものも「商品」だと思われているし、すべてのものに値段がつくと思われている。
値段のつかないものや、売り物でないものは価値がないと思われている。
値段のつくものこそ人が欲しがるものだとされている。

つまり、経済学は世の中を「交換価値」でしか測れない。
従って、経済学には「経験価値」は反映されない。

一方で、古代にも、商品と市場と交換価値は存在していた。
しかし、古代ではおカネで買えるもの(=交換価値)より、名誉や屈辱など(=経験価値)を重視していた。
「市場のある社会」ではあったが、市場の論理に支配されてはいなかった。

一方で、いまの私たちは物事を経済的なモノサシでしか理解できない「市場社会」を生きていまる。
自分が市場に与える影響や、市場から受ける影響を通してしか自分の価値を測れなくなっている。

「市場社会」の誕生

何かを生産するのに必要な要素は、「労働者」「生産手段(原材料や道具・機械など)」「土地または空間」の3つである。

大昔、封建領主に奴隷(=労働者)が仕えていた時代では、これらの3要素はいずれも「商品」ではなかった。

奴隷たちは主人に自分の労働力を売ることなど考えもしなかった。
生産手段は奴隷自身がつくったり、同じ領地の職人がつくったりしていた。
領主は先祖代々の土地を売ることなど考えもしなかった。

この生産と分配のプロセスの中には、市場は存在しなかった
心配事は、「領主が十分な分け前を与えてくれず、冬がきたら食べ物がなくて死んでしまうかもしれない」ということだった。

しかし、ヨーロッパで造船が発達し、グローバル貿易が盛んになると、これらの生産の3要素が「商品」となり、交換価値を持つようになった。

こうして市場社会が始まった
農奴が土地を追い出され、先祖代々の土地が商品になった瞬間に、人口の大半が何らかの市場に参加せざるを得なくなった。

心配のタネは「羊毛が市場で高く売れるだろうか?そのおカネで賃料を払い、子どもたちを食べさせていけるだろうか?」ということに変わった。

借金という潤滑油

かつて、おカネは手段であっても目的ではなかった。
封建時代の領主であれば、たとえいくらおカネを積まれても、自分の城や土地を売るなんて不道徳で不名誉なことだと考えた。

しかし、いまは、城でも土地でも、おカネさえ積めば買えないものない。
交換価値が経験価値を打ち負かし、「市場のある社会」が「市場社会」へと変わったことで、おカネが手段から目的に変わっていった

これは、借金によって、人間が利益を追求するようになったからである。

封建時代には、利益追求は生き残りに必須ではなく、大半の人は借金に悩むことはなかった。
領主は、ほかの領主から富を奪ったり、民衆を搾取したりして、富を増やしていた。
そこには、生産性を上げるようなテクノロジーを開発する必要も動機もなかった

しかし、市場社会が始まると、新興の起業家が生き残るには借金をするしかなかった。
借金が生産プロセスに欠かせない潤滑油になった。
そして、借金を返すために、利益自体が目的となった

最も低い価格を提示できた者が、最も多くの顧客を手に入れることができる。
最も安い賃金で労働者を雇えた者が、最も多くの利益を手に入れることができる。
つまり、最も生産性を上げた者が、どちらの競争にも同時に勝てるようになった

これにより、新しいテクノロジーが競争優位の源泉となり、蒸気機関が使われ、作業場は工場へと姿を変えていった。

しかし、新しいテクノロジーを手に入れるためにはさらに借金を重ねる必要がある。
こうして、起業家の借金と利益と焦りが高まり、利益追求の競争が過酷になっていった。

その慣れの果てが、現代の市場社会である。

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